インドは私を変えた Media

私はヒマラヤ山脈を見るために卒業旅行で1ヶ月ほどインドを放浪した。当時(1996年)はバックパッカーという言葉も流行り、私もバックパック(リュックサック)を背負って、ニューデリーに入った。ガイドブックで予習はしていたがそこで見た光景にはカルチャーショックを受けた。路地では犬の死骸にハエがたかり、人と目が合えば「バクシーシ!」とお恵みを求めてくる。この現実から逃れようとガンジス川の上流を目指すが、もっとショックを受けることになった。
河川というのは上流に行けば行くほど水が透き通りきれいなものだが、どれだけ行けども濁った水が流れてくる。目的地に着いたとき初めてその原因がわかった。河原に生活ゴミが集められ、河川がゴミ処分場になっていたのである。ひと昔とは違いプラスチックや化学製品の割合も高く、環境を害するのは明らかだった。これについては日本も反省し改善してきた歴史がある。しかし、インドの人口は日本の約10倍(12億人)で世界第2位、これほど多くの人々が日本や他の先進国と同じような経済発展をしていけば地球環境の破壊はあっという間に進んでしまうと危機感を覚えた。それ以来、私は未来の地球環境について強く意識するようになった。今では「鋳物(いもの)で山口県を持続可能な社会にする!」を目標に事業を行っている。

鋳物(いもの)って何?  Media

私は「鋳物(いもの)で山口県を持続可能な社会にする!」を目標に事業を行っている。皆さんは鋳物をご存知だろうか?「鋳物?それって食べ物?焼き物?」と聞かれることがよくある。そこで今回は私の仕事である鋳造業について記述する。鋳物とは金属を高温で溶かし、砂で作った型の中に流し込んで凝固させた物のことを言う。その技術を鋳造(ちゅうぞう)と言う。生活の中で見られる物としては水道の蛇口やマンホール蓋、鍋などが一般的である。最近、海外で人気の南部鉄器も鋳物である。
なぜ鋳物が持続可能な社会に繋がるのか。それは鋳物の原料は金属のスクラップ、いわゆる使い古した金属である。大量生産、大量消費、大量廃棄の時代においては使い古したものは焼却か埋め立て、また焼却した物も最終的には灰として埋め立てられている。地下資源を掘りつくしながら生産活動を行い、やがては使い古した物も埋め立てる場所が無くなり地上に溢れる時代になりつつある。そこで今、世界中で持続可能な社会や循環型社会の実現が求められている。鋳物は使い古せば溶かして違うものに作り替える事が出来る。リサイクルという言葉が使われる以前から先人たちが行ってきたリサイクルの一つである。これからのモノづくりは地上にある物、土に帰る物で行う必要がある。これが私の事業の理念である。

古くて新しい素材 Media

前回の投稿で鋳物についてはご理解いただけただろうか?鋳物は約5000年以上も前に地球に誕生した生産技術で、日本へは約2300年前の弥生時代中期ころに、その技術が朝鮮半島より伝来し各地に広がっている。中でも鋳鉄(ちゅうてつ)を素材とする銑鉄鋳物(せんてついもの)は古くから鉄瓶、鉄鍋、鉄釜というように人々の食生活や住空間で広く使用され、今また地球温暖化の緩和や水質浄化の面でも注目されている。そこで今回は鋳鉄という素材について記述する。
私は事業活動の中で、土木工事に鋳鉄を利用するための研究開発を行っている。その中で、鋳鉄が海水でどれくらい長持ちするかについて調べたことがある。結果は厚さ16mmの平板が12mmになるまでに132年かかるということだった。そして鋳鉄から少しずつ溶け出す二価鉄は、藻場の再生に役立ち、藻場の育成が促進されると海水中に酸素が増え、魚の産卵場所となり、それを捕食する魚が集まってくる。つまり海中が豊かになるのである。また藻が増えて磯やけが無くなれば、水温の上昇を防ぎ、ゲリラ豪雨の軽減にも役に立つ。人体に対しても鉄瓶や鉄鍋を使用することにより日常的に鉄分の補給ができる。そして、前回も述べたように鋳鉄は半永久的に再生可能な素材であり、まさに古くて新しい素材。だからこそこれからの社会には鋳鉄が必要不可欠な素材だと私は思う。

鋳物屋(いものや)の復活 Media

私の家は江戸時代後期の文政4年(1821年)より代々、鋳物屋を営んでいる。しかし8年前に経営不振により工場が閉鎖、そして倒産。当たり前のように使っていた鋳造設備は金属くずとなり、悔しい思いで過ごした時期がある。その時にいつかまた鋳造をできるようにすると誓い、鋳造の原料である金属くずを集めることから今の会社をスタートさせた。そこで今回はパソコンリサイクルについて記述する。
鋳物屋は通常、仕入れた金属くずを溶かして製造を行う。私の会社では不用になったパソコンを回収して、その金属を原料に鋳造を行っている。パソコンには鉄、アルミ、銅、銀、金、パラジウムという順に金属の量が含まれている。中でも金やパラジウムのようなレアメタルは微量である。パソコンを1000台以上集めて、ようやく200g程の金が精錬できる。金の精錬には薬品を使うので、私のところでは国内の精錬メーカーに依頼しているが、3年前から鉄、アルミ、銅のようなコモンメタルは自社で溶かして鋳造品を製造している。そして工場閉鎖から7年、ようやくキュポラという昔ながらの鉄溶解炉を昨年設置した。このキュポラはまだ研究中ではあるが、循環型社会に貢献する思いが込められた独自の設計になっている。こうして規模は小さいが、創業180年の鋳物屋は復活した。

キュポラのある町 Media

前回の投稿を読んだ方からキュポラって何?とご質問があったので、今回は私の設計したバイオマス循環型熱風キュポラについて記述する。今回の題名でピンときた方も居るだろう。そう、昭和37年に封切られた吉永小百合さん出演の映画「キュポラのある街」を捩ってみた。
そもそもキュポラとは立型の円筒状の形をしたもので、送風機で風を送り込み、コークスという燃料を熱して鉄を溶かす炉の名称である。現在ではキュポラで操業する鋳物工場も減り、電気炉での操業が主になっている。そんな業界の中、私はあえてこのキュポラにこだわり、自然豊かな徳地町に設置した。構想では間伐材を利用した木炭で鉄を溶かし、その際にキュポラ上部から放出する排熱を利用して次回の溶解燃料になる木炭を製造するというものだ。実際には木炭100%で鉄を溶解するまでに至ってはいないが、成功すれば地下資源に頼らないモノづくりが実現できる。コークスのない時代には木炭で鉄を溶かしていたという。そしてその方法も祖父から聞いているので出来ないはずはない。最終的には自然エネルギーを利用して送風機を動かし、持続可能な社会を実現するために必要な製品を世の中に提供していきたいと考えている。まだまだ完成には課題を残しているが、粘り強く挑戦していこうと思う。

防府の鋳物(いもの)の歴史① Media

私事であるが先日、厄除け祈願のため防府市にある阿弥陀寺(あみだじ)に行ってきた。最近ではアジサイ寺として知られているが、国宝の鉄宝塔が残っているお寺として歴史文献などにも登場する。
この国宝は1197年に重源(ちょうげん)上人(しょうにん)が東大寺大仏の鋳工に造らせたもので、鋳鉄製の塔としては日本でもっとも古いものである。そこで今回は、防府の鋳物の歴史について記述する。
5年前の桜咲く時期に、阿弥陀寺で祖母の3回忌の法要を終えた時のことだった。お寺の住職に「これはあなたのご先祖様が造ったものです。」と見せてもらったものがある。そこには文政11年 鋳工 松村彦右エ門という文字が鋳出しされた鉄湯釜があった。これは30年前まで実際に使用されていたという。今は国宝と一緒に大切に保管されている。
阿弥陀寺は1186 年東大寺再建で周防国司となった重源上人により建立されたお寺で、当時、木材の伐り出しに従事していた人たちの心と体を癒す目的で始まった石風呂の風習が今でも残っている。これは鉄湯釜で焚いた湯を石の風呂に注ぎ、その湯をかけるというもので、今の風呂とは少し違う。
阿弥陀寺にはその他にも800年前の巨大な鉄湯釜が残っており、当時の鋳工たちの技術力の高さに圧倒される。このことからもわかるように、鋳鉄は長く現存しうる素材である。

防府の鋳物(いもの)の歴史②  Media

昨年の暮れ、祖母に1枚の写真を見せてもらった。その写真は所々傷やシミが付いてはいたが、私にとってはとても興味深いものが写っていた。そこには丈の短い日本のきものを着た50名くらいの男たちが建物の前に並び、藁で包まれた木炭や甑(こしき)炉(ろ)という昔の溶解炉を囲むように立っていた。祖母に聞くと、明治時代の後期のもので、防府市の鋳物師(いもじ)町に工場があったころの写真だと言っていた。その一枚から当時の鋳物屋の状況がよく見て取れた。
防府市には鋳物師町という地名が今も残っており、ここには鎌倉時代から江戸時代にかけて鋳物師たちが集住していたという。当時の鋳物師は今で言う役人のような職が与えられ、山口県では大内氏や毛利氏に仕え、梵鐘や灯篭など国家の重要な器物を鋳造していた。その中でも特に優れた技術を持つ鋳物師には藤原の名が与えられ、宮廷に出入りを許されていたという。ちなみに私の先祖も松村彦右衛門藤原信房という名を与えられ、中国、四国地方の神社仏閣の灯篭や梵鐘に名を刻んでいる。
私も防府市鋳物師町という地名の由来を伝えると共に、この地に残る鋳造技術を継承する鋳物師として、これからの世の中に貢献する鋳物製品を開発し、山口県から発信していきたいと思う。

地球の浄化  Media

先日、金属リサイクル業界では唯一経団連に加盟している企業のトップにお会いした。私は自分の方向性が間違っていないか、また世の中の動向から大きく逸れていないかを確認するために情報交換をするようにしている。このトップとは9年前、父の経営していた鋳造会社が倒産した時に出会い、私が今の会社を設立する際にもパソコンリサイクルを始めるきっかけを与えてくれた、言わば恩師である。
この恩師との会話ではいつも新しい知識やヒントを貰っている。私が持続可能な社会システムの構築、地上にある資源によるモノづくりといった考えに行き着いたのもこの恩師の影響である。今回もそんな話題になり、今は廃棄物の減容化に取組んでいるが、これからは廃棄物の減量化と廃棄物を出さないモノづくりが必要とされてくる。そして最終的にはこれまで埋め立てられてきた廃棄物も出来る限り再資源化し、地球を浄化していくという大きなプロジェクトに取組むことで話は終わった。
私に出来ることは、リサイクル可能な鋳物の家庭製品や工業製品を多く世の中に発信していくことだと考えている。先ずは「山口県を鋳物で持続可能な社会にする!」というモデルを実現し、将来的には県外、海外に発信していこうと思う。